乳がんの抗がん剤抵抗性に働く
新たな機構が解明された

ヒントは、がん細胞の源となる「がん幹細胞」。それが抵抗性を獲得するメカニズムに迫る

「寛解」でも、残存する、がん幹細胞

がん幹細胞はどのように抗がん剤抵抗制を獲得するか?

そのメカニズム解明が、乳がんの治療法の進化につながる

見つかったのは、細胞内糖代謝との以外な関係

がんが再発する理由、そしてさらに抵抗性を強める理由とは

がんは、1981年から40年近くもの間、日本人の死因の第1位となっている。また、2014年のがんの部位別統計によると乳がんはがんの中でも日本人女性の罹患率トップであり、1975年以降今なお増加傾向が続いている。著名人の中にも乳がん罹患のニュースは数多く報じられている。ピンクリボン運動という活動が馴染み深いものになったのも、乳がん罹患率の多さとそのリスクを表したものだといえるだろう。

しかしなぜ、乳がんは深刻な病気とされるのだろうか。そこには「寛解したにもかかわらず再発する」というがんの特性が考えられる。そもそも寛解とは何か。「一時的あるいは永続的に、がん(腫瘍)が縮小または消失している状態」のことである。ある臓器の中にがん細胞がとどまっているのであればその部位を切除するなどして「根治」をめざす療法も行われるのだが、進行したがんでは多くの場合、それは困難だともいわれている。いかにがん細胞が複製分化し、転移することが多いかがこのことからも分かる。

そこで大抵の化学療法は、抗がん剤などにより「がん細胞を縮小または抑える」ことを目的として行われる。早期発見と治療法の進歩により、寛解するケースも増えているが、困ったことに「抗がん剤に抵抗性を示す」がん細胞が出現することがある。いわば、「抗がん剤に強い」がん細胞が発生し、再発時の治療をさらに困難にするのだ。

近年、多くの癌腫(がんの大半を占める悪性腫瘍)において、その解明のヒントが見出されている。それが、「がん幹細胞」という存在だ。「がん源細胞」ともよばれるように、がん細胞の元となる存在と考えてもよいだろう。がん幹細胞は自らを複製する自己複製能と、さまざまな細胞に分化できる多分化能という2つの特性を持つ。つまり、抗がん剤によりがん細胞が縮小、消失してしまっても、このがん幹細胞が生き残っている限り、がん細胞はまたうみだされていく。最大の問題は、このがん幹細胞が抗がん剤抵抗性を獲得してしまうこと。「なぜ獲得してしまうのか?」というメカニズムに焦点が当てられることとなったのもこういった理由からである。

ヘキソサミン合成経路(HBP)と がん幹細胞の抗がん剤抵抗性

がん幹細胞が抗がん剤抵抗性を獲得するメカニズムに迫る

そこに、ひとつの発見が報告された。2019年10月、英国科学誌『Cell Death & Disease』に、乳がんの抗がん剤抵抗性に働く新たな機構が解明されたという研究成果が掲載されたのである。

研究成果を報告した、京都産業大学生命科学研究科の大学院生Chokchaitaweesuk Chatchadawalai、板野直樹教授らの研究チームによると、彼らはまず乳がん臨床検体の遺伝子発現データベースを解析した。そこで「HBP酵素遺伝子群の発現が、進行性乳がんと関連して上昇している」ことを見出したのだという。

HBP酵素遺伝子群、というと聞き慣れない言葉かもしれないが、HBPとは細胞内糖代謝の主要プログラムであり、アミノ糖の総称であるヘキソサミンを合成する経路のことである。すなわち、ブドウ糖が体外から摂取されたときに、それをアミノ糖へと合成する、人体の大切な機能であると考えると、多少イメージが湧くだろう。HBP(ヘキソサミン合成経路)は、最終産物であるウリジン二リン酸-N-アセチルグルコサミン(UDP-GlcNAc)を供給することにより、タンパク質のO-GlcNAc修飾やヒアルロン酸糖鎖のシグナルを上流で調節している。

ちなみにタンパク質のO-GlcNAc修飾とは種々の細胞の重要な要素であるタンパク質を機能制御する機構のひとつ。また、ヒアルロン酸は細胞と細胞の間に多く存在し、水分の保持やクッションのような役割で細胞を守っている。つまり、HBPという経路が上流から下流に向かってコントロールしているのは、私たちの体内維持に欠かせない機構たちなのである。

研究チームは、まずヒアルロン酸糖鎖シグナルを抑制してみた(遺伝子改変技術により)。すると、抗がん剤抵抗性が減弱するという事実を見出した。シスプラチンという抗がん剤によるがん幹細胞の細胞死が上昇したのである。
また、逆に、O-GlcNAc修飾を抑制することで、低下した抗がん剤抵抗性が再度上昇することも明らかになった。つまり今回の発見は、HBP下流シグナルであるヒアルロン酸糖鎖シグナルとO-GlcNAc修飾とのバランスが、がん幹細胞の抗がん剤耐性にとって重要であることを示しており、がん治療の観点からとても重要な発見といえるのだという。

がん幹細胞という存在は、いまだ我々人類にとって謎であり、脅威である。しかし、がん幹細胞の抗がん剤抵抗性を左右する2つの機構が明らかになったことで、治療抵抗性のあるがんに対する全く新しい治療技術の開発につながる可能性がある。さらには、この技術を応用し、がんの根治的治療法として抵抗するための基盤ともなり得るのだ。



[用語の説明]
■ヘキソサミン合成経路(HBP)
解糖系の中間代謝産物であるフルクトース6-リン酸から数段階の酵素反応を経て、最終的にウリジン二リン酸-N-アセチルグルコサミン(UDP-GlcNAc)を生成するグルコース代謝の分岐経路。

O-GlcNAc修飾
O-GlcNAc転移酵素によって、タンパク質のセリンあるいはスレオニン残基の水酸基に、UDP-GlcNAcからGlcNAc1分子が転移するタンパク質翻訳後修飾反応。シグナル伝達や遺伝子発現、エピジェネティクスなどの調節に働く。

■ヒアルロン酸
N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)とグルクロン酸からなる直鎖上の高分子多糖。

■シスプラチン
抗がん効果を示す白金製剤。がん化学療法において中心的薬剤として用いられ、乳がんでは、転移性トリプルネガティブ乳がんの治療で選択される。

ヒアルロン酸糖鎖シグナルの抑制によるがん幹細胞の抗がん剤抵抗性の減弱

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