ニュースが事実を
ゆがませる?

表象される世界と「リアル」な世界〜知的資源としてのニュースの限界

世界のニュースに潜む危険性「分かりやすさ」

その紛争や対立に秘められた数々の要因

分かりやすい捉え方は、膨大な情報を削ぎ落とすリスクも

私たちにとって便利なニュースには、フィルターとしての限界がある

「マクロな観点」の危険性

「なんでそんなことしたの?」「なんでケンカなんかしたの?」と聞かれて、即答できる人はいるだろうか。
きっかけはもちろんあるだろう。例えば悪口を言われてカッとなった……など。だがそこに至るまでには、本の貸し借りに関する不満や、SNSでの既読スルー、服のセンスが合わない、などなど、数多くの原因が積み重なっているものだ。ともすれば、ケンカが発生しなかった可能性すらあるだろう。
世界の紛争や対立も、同様ではないだろうか。その原因や構造を一言でいうのは非常に難しい。太平洋戦争ですら、さまざまな発生原因や遠因が語られ、論じられ、その研究はいまも続いている。だが逆に、遠く中東や欧州、アジアの各地で起きている戦争や紛争について、私たちは詳細に知っているだろうか。
むしろ、「宗教的な対立」や「民族間の対立」などと、一言で分かりやすく捉えていないだろうか。
宗教的な対立でいえば、
●インドでヒンズー教徒がイスラーム教徒を迫害する
●イスラーム原理主義者は西洋=キリスト教を攻撃する
といった例が多く上げられるし、民族間の対立なら
●ルワンダの虐殺
●ユーゴスラビアの分裂と戦争
●アメリカにおけるアイデンティティ・ポリティクス
などが記憶に残っているのではないだろうか。また、これ以外にも「言語間の対立」という切り口もある。
ミクロな視点で捉えようとすると、さまざまな事象は個別的で「分かるまで難しい」ものとなる。マクロな視点で捉えれば分かりやすくなる。しかし、一言で分かりやすく捉えてしまうがゆえの危険性もある。そこに警鐘を鳴らすのが、京都産業大学 外国語学部のマコーマック ノア ヨシナガ教授である。

世界を飛び交う情報を、私たちはどこまで正確に捉えているのだろうか

「ニュースは商品」という認識の重要性

イギリスに生まれ、オーストラリア、日本、フランスの学校・大学に通ったという経歴を持つマコーマック教授は、社会学と国際関係学を掛け合わせメディア論やジェンダー論など幅広く社会の実相を読み解いている。その知見を生かし、2019年4月同学に誕生する国際関係学部の教授に就任予定である。マコーマック教授は語る。
「もちろん、紛争や対立と、宗教や民族や言語が無縁だというわけでは決してありません。しかし、宗教的民族的言語的要因と紛争や対立との関係は決して自明なものではありません。民族的・宗教的・言語的“多様性”が混在する社会状況を扱う研究では、『むしろ平和的共存が通常のケース』であり、『対立や紛争が例外ケース』であることが明らかにされています」。
こうした紛争や対立を私たちに伝えてくれるニュースには、気をつけなければいけない側面がある。ニュースとは報道産業が作成する商品である、ということだ。商品としてのニュースは、消費者=視聴者や読者に評価されることを求める。北朝鮮の核兵器保有やアフリカ大陸北部から欧州を目指す人波が取り上げられることが多くても、そうして国や地域で多くの人々が普通に暮らしている景色が紹介される事は少ないのもそうした理由による。結果として、我々は特定の地域や国の偏ったイメージを抱いてしまうことがある。さらにニュースは商品であるからこそ「分かりやすい」ものでなければならない。この商業的ニーズに応えるため、膨大で複雑なデータが「宗教間の対立」などといった、単純明快な型にはまった情報に変換されることがあるのだ。もちろんニュースは多岐にわたり、私たちに世界のいまを伝える努力を続けてくれている。しかし受け取り手の私たちもまた、認識しなければならないだろう。知的資源には限界があり、それを補うのは私たち自身の自覚と努力であるということを。

カメラが捉えるのは事実。しかしその伝え方にはフィルターが入ることもある

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