インカ以前、ワリ帝国「ビール外交」の謎を解明

なぜ彼らは滅亡寸前まで大宴会を開けたのか、古代アンデス文明

NATIONAL GEOGRAPHIC

文=MEGAN GANNON/訳=高野夏美
(PHOTOGRAPH COURTESY THE FIELD MUSEUM)

京都産業大学による見どころチェック!

滅びる寸前までビール外交はなぜ続いた?

酒から酒器まで地元産。集団をまとめた手法

自給自足が長きにわたる伝統の秘訣

 現在のペルーに位置するセロ・バウルは、古代アンデスで最初の帝国と言われる「ワリ」の最南端に作られた、辺境の入植地だった。急峻な山の上に位置し、天然の水源はなく、実用性に乏しい場所だったが、紀元1050年ごろまでのおよそ4世紀にわたり、ぜいたくな饗宴が催されていた。(参考記事:「古代ペルー 深紅の王墓」

 宴会を開いたのはワリ帝国の有力者たちだ。招かれた客は、隣国ティワナクのライバルや、ワリとティワナクという2大帝国に脅かされていた小さな村々の長たちだった。彼らはモケグア渓谷の景色を楽しみながら、テンジクネズミ、ラマ、魚料理を味わい、古代アンデス発祥のビールであるチチャを酌み交わした。トウモロコシとコショウボクの実を発酵させて作る酒である。

 だが、ワリ帝国が崩壊しつつあった950年余り前に、酒盛りを楽しんだ者たちは、自らお祭り騒ぎに終止符を打つ。

 このとき、ワリ帝国の人々は辺境の入植地から避難するつもりだったらしく、すでに神殿と宮殿を取り壊していた。最後に壊されたのが醸造所だった。彼らは建物に火をつけ、焼け落ちるのを眺めた。ワリの貴族たちはチチャを飲み干し、大事にしてきた杯を火に投げ入れた。

 醸造所が灰になると、何人かが首飾りを外し、最後の供物として残り火の中に置いた。誰もこの建物を二度と使えないよう、廃墟を砂で覆った。こうして醸造所は、20年前からチチャ造りの中心地を発掘している考古学者たちにとって、貴重な「タイムカプセル」となった。(参考記事:「ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー」

 研究者たちはこのほど、セロ・バウルでの最後の宴で使われた土器を分析。研究結果が4月18日付けで学術誌「サステイナビリティ」に掲載された。それによると、この国境付近の入植地で、帝国が滅ぶ寸前までそれほどの宴会を続けていられたのは、醸造も酒器作りも地元の材料を使っていたおかげだという。

一度に1500~2000リットルを生産

 紀元600年ごろから1050年ごろにかけて、ペルー沿岸とアンデス山脈の広い範囲を支配したワリ帝国。インカ帝国が力を持つずっと前に、大規模な道路網とかんがい用水路網を作り上げたワリの人々にとって、セロ・バウルは政治的に重要な場所だった。外交の中心だったこの地は、帝国の都ワリから南東へ徒歩で2~3週間かかるところにあった。そして、セロ・バウルの神殿の中には、ライバルを取り込もうと、隣国ティワナクの神々を祭ったものもあった。(参考記事:「金銀の耳飾り、ワリ文化の王族墓」

「ワリ帝国は、セロ・バウルに来るさまざまな集団をまとめようとしていたことが分かります。その方法の1つと思われるのが、地元産のビールを振る舞った大きな宴会です」。論文の筆頭著者で、米シカゴのフィールド自然史博物館で人類学部門を率いているライアン・ウィリアムズ氏はこう話す。

 ウィリアムズ氏らは、セロ・バウルの醸造所で一度に生産できたチチャを1500~2000リットル以上と推定している。工業化以前の社会の醸造所としては、かなりの量だ。チチャは傷むのが早く5日程度しかもたないことを考えると、山上の宴会には、数百人を超す指導者たちが招待されていた可能性がある。

 今回、研究者たちは、こうした宴会用の物資がどのように生産されたか解明しようとした。醸造や飲用に使われ、ワリ文化の神々の姿に似せた土器は、遠く離れた都のワリで見つかった物に似ていた。だが、粉々に砕けた土器の化学分析から、セロ・バウルの杯は現地で作られ、粘土も地元産であることが分かった。

「このような質の良い酒器は、よそから持ち込まれたものだろうと予想していました。しかし実際には、彼らはこの辺境の地で、ワリの生活様式を丸ごと保っていました」とウィリアムズ氏は話した。「実に興味深いです。このように遠く離れた地方が、中央集権的な資源に依存せず、長期にわたって活力を保っていたことを物語っているからです」

古代の酒造りを再現

 古代の土器から、チチャの残留物も採取できた。研究者たちは、ワリの人々が醸造に使っていた材料を明らかにしようと、自らチチャ造りに挑戦。この地域では今もチチャがよく飲まれていることから、近くのアンデスの麓に住む、醸造方法を知る女性の助けを借りた。

「これらの痕跡が何なのかを、実験せずに特定するのは非常に困難です」と話すのは、論文の共著者で、米ノースカロライナ大学グリーンズボロ校の考古学教授ドナ・ナッシュ氏だ。チチャ造りを1回再現するのに、始めから終わりまで1カ月かかった。できる限り実際のプロセスに近づけるため、材料を煮て発酵させるのに土器のつぼを使い、ラマのふんを燃料に使った。

 この実験で、セロ・バウルのチチャはトウモロコシと、現地に豊富にあるコショウボクの実から造られていたことが、初めて確認された。ピンク色のコショウボクの実は、繊細だが濃い味をチチャに与える。ウィリアムズ氏とナッシュ氏によれば、酒がコショウのような味にならないよう、正しい醸造プロセスで造るのが難しかったという。コショウボクの木は、干ばつにとても強い。そのため、水を大量に消費する作物であるトウモロコシが手に入らない時でも、ワリの人々はビールの供給を維持できたのだろう。

 米ペンシルベニア大学考古学人類学博物館の研究者で、古代のアルコール飲料に詳しいパトリック・マクガバン氏は、新たな研究成果を「科学技術を駆使して土器や植物考古学の遺物を調査しており、現代の生体分子考古学の最もよい例」になっていると評価する。

「古代の発酵飲料が、世界各地で人間社会の中心にあったという証拠が、また1つ増えました」。マクガバン氏は、ナショナル ジオグラフィックに対してEメールで語った。同氏は、今回の研究には関わっていない。(参考記事:「酒と人類 9000年の恋物語」

幻覚薬も含まれていた?

 ナッシュ氏は、チチャの一部には幻覚薬が含まれていたかもしれないと話す。ワリの土器には、サン・ペドロ・サボテンやビルカの木など、幻覚作用のある植物を描いたものがあるからだ。今後の実験で、こうした物質も醸造所の土器に残っているかどうか調べたいとナッシュ氏は考えている。またウィリアムズ氏は、遺物のDNA分析から、ワリが醸造過程で使っていた酵母の菌株も明らかになればと期待しているという。

 なぜセロ・バウルが放棄されたのか、正確なところは専門家にも分からず、彼らはワリ帝国がどのように滅んだのか議論している段階だ。いくつかの植物考古学的証拠が示す通り、深刻な干ばつが貧困と暴力につながったのか? 政治的な内紛で帝国が分裂したのか? いずれにせよウィリアムズ氏は、セロ・バウルから何かしら教訓を得られるのではと考えている。巨大な政治的権力のもとでも、地域的な活力を育んでいくのが、いかに重要かということだ。

「まだ解明が必要な点の1つは、ワリの崩壊が空間的、時間的にどう進んでいったかです」とウィリアムズ氏は話す。「滅亡したのは950年ごろだったと主張する人たちもいます。我々が調べた最後の酒宴は1050年ごろのようです。他の地域が大きく衰退していても、一部の地域は伝統を維持できていた期間が100年ほどあったのかもしれません。逆境を跳ね返す活力を保っていて、物資を現地調達していたからです」

 最近のクラフトビール人気で古代の醸造技術ににわかに関心が寄せられても、新大陸のビール造りの伝統はやや見過ごされていると、ウィリアムズ氏は指摘する。そんな中、フィールド自然史博物館とシカゴのクラフトビール醸造所「オフカラーブルーイング」は、ナッシュ氏の研究を元に「ワリ・エール」を造った。コショウボクの実を使ったピンク色のエールビールが、6月にシカゴ周辺の地域で再び日の目を見る。

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