80年前に消えた伝説の女性飛行士、今も続く探索

アメリア・イアハートの行方を探して、今も新たな仮説が浮上している

NATIONAL GEOGRAPHIC

文=ALEC FORSSMANN/訳=北村京子
(PHOTOGRAPH BY SZ PHOTO/BRIDGEMAN/ACI)

京都産業大学による見どころチェック!

女性として初となる飛行機での世界一周を目指した、女性飛行士

太平洋に浮かぶ小島、ハウランド島への着陸前、消息を断つ

最新の技術を駆使し、いまも「彼女」の探索は続く

 1937年7月2日、アメリア・イアハートは太平洋に浮かぶ小島、ハウランド島を目指して飛んでいた。彼女が挑んでいる世界一周の旅は、着陸地点をあと数カ所残すのみとなっていた。島が近付いてきたころ、イアハートは、ハウランド島沖に停泊していた米国沿岸警備隊の監視船イタスカ号に無線連絡し、陸地まで誘導してほしいと要請した。

「KHAQQ(イアハートが乗っていたロッキード・エレクトラ10Eのコールサイン)よりイタスカへ。今そちらの上空にいるはずだが、船が見えない……燃料が少なくなっている……ずっと無線が通じず……高度1000フィートを飛行中」

 そのおよそ1時間後のイアハートからのメッセージは、彼女の飛行機が、北北西と南南東を結ぶ線上を飛んでいたことを示しているが、どちらの方向へ進んでいたのかは不明だ。午前8時43分のこの通信を最後に無線は途絶え、その後何が起こったのかは誰にもわからない。(参考記事:「伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上」

運命の飛行

 女性として初となる飛行機での世界一周を目指した1937年の時点で、イアハートの名前はすでに国際的に知られていた。彼女が挑もうとしていたのは、ほぼ赤道に沿って東回りに約4万7000キロを飛ぶという、過酷な飛行計画だった。同年3月に挑戦したときには失敗に終わり、飛行機にダメージがあったが、その修理を終えたイアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、5月21日、カリフォルニア州オークランドを飛び立った。

 飛行機は20カ所以上の着陸地点を経由しながら、40日間かけて約3万5400キロを飛び、やがてパプアニューギニア東岸の街ラエに到着した。7月2日の朝、ふたりはこの旅でもっとも過酷になると予想される、太平洋中央部に浮かぶ全長2.8キロのサンゴ礁の小島、ハウランド島に向けたフライトに出発した。ラエから次の給油地点となるその小さな島までは、4000キロ以上にわたり、眼下には海ばかりが続くことになる。

マーシャル諸島のジャルート環礁で撮影された写真。ここに写っている男女が、1937年に撮影されたイアハートとヌーナンであるとする意見もある。この写真はしかし、1935年のものであることが確認されている。(PHOTOGRAPH BY U.S. NATIONAL ARCHIVES)

 数時間飛行し、いよいよハウランド島が近づいてきたころ、イアハートはイタスカ号に向けて無線を送った。イタスカ号は彼女からの通信を受け取った。ある時点では信号が非常に強かったため、無線オペレーターが甲板まで走って空を見上げ、イアハートの機影を探したほどだった。しかし、イタスカ号が返した無線は、雲の上をさまようイアハートとヌーナンには届かなかった。

 結局、エレクトラ号はいつまでたってもハウランド島には到着せず、その後の大規模な捜索でも、姿を消した飛行士とその愛機の痕跡を見つけることはできなかった。2週間後、米国はアメリア・イアハートとフレッド・ヌーナンは海で行方不明になったと発表した。政府の公式見解は、エレクトラ号はイタスカ号と連絡をとることができず、燃料が尽きて海に墜落したというものだった。(参考記事:「幻の大西洋横断機、続く捜索の試み」

アメリアを探して

 過去15年の間に、イアハートの飛行機の残骸を見つけることを目的に、数回の捜索が行われた。イアハートの最後の無線や、エレクトラ号が積んでいた燃料から推測して、研究者らは捜索範囲を海上の1600平方キロまで絞り込んだ。一説には、イアハートとヌーナンは北のマーシャル諸島の方角へ飛び、墜落した後、当時の日本軍の捕虜になったとも言われている。イアハートがサイパンの捕虜収容所にいるところを見たという者もいるが、この証言を裏付ける物理的な証拠はほとんどない。(参考記事:「【動画】日本軍と交戦した空母、水深3千mで発見」

 このほか、熱心にイアハートの謎を追っている「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(TIGHAR)」などは、イアハートは南のフェニックス諸島の方角ヘ飛び、ニクマロロ島(当時のガードナー島)のサンゴ礁に着陸して、数日から数週間、そこで漂流者として生き延びたと考えている。(参考記事:「海に落ちて28時間、ひとり漂流し生還した実業家」

 TIGHARは、ニクマロロ島に幾度か捜索隊を送り、キャンプをした痕跡と複数の人工物を発見した。「セブン・サイト」と呼ばれるこの場所では、ニクマロロが英国統治下にあった1940年に、13個の人骨が発見された。その骨はフィジーに送られた後、ふたりの医師による検査が行われ、男性のものであるとの結論が出された。このときの骨はその後行方不明となったが、検査の結果を記した報告書は残されている。

1989年以降、「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(TIGHAR)」は、太平洋の離島ニクマロロに調査隊を12回送っている。島では1930年代から残るさまざまな品が見つかっており、TIGHARはこれらがイアハートとヌーナンのものである可能性を追っている。写真は、TIGHARがエレクトラ号の一部ではないかとしている修理された機体の一部。(PHOTOGRAPH BY AP IMMAGES/GTRES)

最新の研究

 2017年7月には、TIGHARとナショナル ジオグラフィック協会が、犯罪捜査に用いられる探知犬4匹と考古学チームをニクマロロ島に送り込み、ほかにも残された骨がないかどうかを確認した。特別な訓練を受けた犬たちは、人体の腐敗のにおいを嗅ぎ分けることができる。セブン・サイトに到着したとたん、犬たち(レーダーよりも高い成功率を誇る)は警戒する様子を見せたものの、結局、骨は発見できなかった。チームは一帯の土壌サンプルを集めて、これを分析して人間のDNAを探すことにした。

 1940年に見つかった13個の骨についての新たな研究が、遭難説を裏付ける証拠となる可能性もある。2018年に実施された科学分析は、以前フィジーの医者が出した結論とは真逆の結果を示唆している。これらの骨は女性のものであり、イアハートの身長と体形に似ていた、というものだ。法医人類学者のリチャード・ジャンツ氏は、イアハートが着ていた服の写真や記事を参考に、骨の測定値を分析した。その結果は「ニクマロロで見つかった骨がアメリア・イアハートのものであるという結論を強く支持して」おり、さもなければ「骨はイアハートと非常によく似た人物のもの」だと、ジャンツ氏は述べている。(参考記事:「森の部族に身を捧げた男、二度と帰ってこなかった」

 2018年、TIGHARは、イアハートが姿を消した夜の無線信号を分析した報告書を発表した。1939年7月には、フロリダ州セントピーターズバーグや、カナダのトロントといった非常に遠い場所にいた人たちから、女性からの救難連絡を聞いたとの報告があった。TIGHARは、その声はイアハートのものであったとし、報告書の中で、なぜ彼女の無線がそれほど遠くまで届いたのかについて説明している。

 イアハートは、自身の世界一周飛行の目的について、「ただ楽しみたいだけ」だと言っていたが、彼女がたどった運命を解明する探求は困難を極め、80年以上たった今も続いている。イアハートが初めて空を飛んだのは、第一次大戦のパイロット、フランク・ホークスとの10分間のフライトで、そのとき彼女は人生を変える重大な決断をした。「地上から200〜300フィート(60〜90メートル)上昇するころには、もう飛ばずにはいられないと感じていた」と、後にイアハートは語っている。研究者たちは今も、何が何でも空を飛ぼうというイアハートの決意に負けないくらい、彼女の消息の謎を解明するという固い意志を持ち続けている。(参考記事:「世界的冒険家のディーン・ポッター氏が墜落死」

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