記憶とは何か―脳はどう覚え、保ち、失うのか

期間、意識や感情の関わりなど、さまざまな記憶の種類とメカニズム

NATIONAL GEOGRAPHIC

文=Michael Greshko/訳=ルーバー荒井ハンナ
(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

京都産業大学による見どころチェック!

記憶はいくつかの「種類」に分けられる

「なぜ忘れるのか?」から記憶の謎に迫る

記憶メカニズムの解明がPTSDの治療につながる可能性も

 私たちの脳は、誕生した瞬間から膨大な量の情報にさらされる。自分のこと、そして周囲の世界のこと。その学んだことや体験したこと全てを留めておくのが記憶だ。

 人が記憶を保持できる期間は、その種類によって異なる。「短期記憶」は数秒から数時間しか続かないが、「長期記憶」は何年も覚えていられる。また、何かをするときに、必要な情報を一時的に頭に留めておく「作業記憶」もある。電話をかけようとして、電話番号を覚えようと何度も口で繰り返しているときはこの作業記憶が働いている。

 記憶する対象や、それを意識しているかどうかによっても記憶を分類できる。「宣言的記憶(陳述記憶)」は、意識して経験した記憶のこと。ポルトガルの首都はどこか(リスボン)、トランプの札は全部で何枚か(52枚)、または子ども時代の誕生日の思い出など、事実や一般的な知識などがそうだ。過去に自分が経験した出来事なども含まれる。

 一方、「非宣言的記憶(非陳述記憶)」は無意識のうちに積み上がる。これには「手続き記憶」と言って、体を使って修得した能力の記憶が含まれる。楽器を演奏したり自転車に乗ったりできるのは、手続き記憶が働いているおかげだ。好物の食べものを見た瞬間に唾が出たり、怖いものを見たときに体が緊張するというように、体に無意識の反応が起きるのも非宣言的記憶による。

 一般的に、宣言的記憶のほうが非宣言的記憶よりも形成されやすい。ポルトガルの首都を覚えるほうが、バイオリンの弾き方を習得するよりはるかに簡単だ。しかし、非宣言的記憶の方が長い間脳に留まりやすい。自転車の乗り方をいったん覚えてしまえば、まず忘れることはない。

なぜものを忘れるのか

 私たちがどのようにしてものを記憶するかを理解するには、なぜものを忘れるのかという研究が参考になるだろう。記憶を失ったり、新しい記憶をつくれなくなったりする健忘症を研究するのはそのためでもある。健忘症は通常、けがや脳梗塞、脳腫瘍、アルコール依存症などにより、脳に何らかの外傷が加えられたときに発症する。

 健忘症には大きく分けて2種類ある。「逆行性健忘」では、脳への外傷が起こる前の記憶を失い、「前向性健忘」では、外傷によって新しい記憶を形成する能力が劣化したり、失われてしまう。

 前向性健忘で最も有名なのは、ヘンリー・モレゾンの症例だろう。生前はHMとしてしか知られていなかったモレゾンは、重度のてんかん患者だった。最後の手段として、1953年に海馬を含む内側側頭葉を切除する手術を受けた。術後、子ども時代のことはよく覚えていたが、新しい宣言的記憶を形成できなくなっていた。周囲の人々は、たとえ数十年間の付き合いになっても、モレゾンと会うたびに自己紹介をしなければならなかった。(参考記事:「記憶障害になると人は実際にどうなるのか」

 科学者は、モレゾンのような患者や、様々な種類の脳障害を持つ動物を研究することで、異なる種類の記憶が脳のどこでどのように形成され、蓄えられるかを追跡できるようになった。短期記憶と長期記憶、宣言的記憶と非宣言的記憶は、どれも同じように形成されるわけではないようだ。

 脳の中では、全ての記憶が1カ所に集まっているわけではない。脳の異なる部分に異なる種類の記憶が形成・保存され、それぞれに異なるプロセスが関わっているようなのだ。例えば、恐れなど感情的な反応は脳の扁桃体(へんとうたい)に保存される。修得した技術は線条体(せんじょうたい)に保存され、海馬(かいば)は、宣言的記憶の形成、保持、想起に欠かせない。(参考記事:「手痛くフラれた経験は忘れないのに、英単語をすぐに忘れるのはなぜ?」

脳の中で起きていること

 1940年代から、記憶は神経細胞(ニューロン)の集団に蓄えられるという考えがある。これらの細胞は互いに結合し、友人の顔や焼き立てのパンの香りなど、特定の刺激に反応して集団で“発火”する。同時に発火する細胞が多ければ多いほど、細胞同士のつながりが強くなる。その後も刺激が与えられると、全体が発火するようになり、集団として経験したことを書き留めるというわけだ。この神経細胞の集団は「セルアセンブリ(細胞集成体)」と呼ばれるが、詳しいメカニズムについてはまだ研究中だ。

 短期記憶を長期記憶に変えるには、長く保存できるよう強化されなければならない。これは「記憶の固定化」と呼ばれ、いくつかの変化によって起こると考えられている。そのひとつが「長期増強」で、個々の神経細胞が自分自身を変化させ、近くの神経細胞にそれまでとは違う形で信号を伝達する。それが長期的な神経細胞の結びつきを変化させ、記憶を安定させる。長期記憶を持つすべての動物は、基本的に同様の機能を持っている。詳しいことはジャンボアメフラシ(Aplysia californica)の研究で明らかになった。ただし、全ての長期記憶が短期記憶から始まるわけではない。

人間の脳の断面。記憶の形成や想起には、脳の複数の領域が関係している。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

 記憶を思い出すとき、脳の多くの部分が高速で対話をする。高度な情報処理を行う大脳皮質の一部、感覚器官の情報を扱う部分、そしてこれらの処理を統率する内側側頭葉などだ。内側側頭葉はHMが手術で失った場所だ。最近のある研究では、患者が新しく形成された記憶を思い出すとき、内側側頭葉と大脳皮質の活動が同期していることがわかった。(参考記事:「先端技術で見えた脳の秘密」)

 記憶にはまだ多くの謎が残されている。情報はどのように記憶として取り込まれるのか。記憶する細胞は脳の中でどの程度広く分布しているのか。何かを記憶するとき、脳のどの活動が関わってくるのか。これらは今も研究が続き、いつの日か脳の機能や記憶に関係する障害の治療に新たな洞察を与えてくれるかもしれない。

 例えば、最近の研究では、一部の記憶は思い出すたびにさらに固定化されることがわかってきている。そうであれば、何かを思い出したときに、その記憶を強化したり、弱めたり、または変化させることが可能かもしれない。記憶が再固定化されるときを狙って薬を投与すれば、心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった症状の治療にもつながることが期待できそうだ。(参考記事:「記憶の書き換え、いつ実現? マウスでは成功」

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